悔しくてライバルの仕事を見られない問題
悔しくてライバルの仕事や活躍を見られない問題っていつまで続くのかな?
ある動画クリエイターが悔しくて同業の藤井健太郎さんの作品を見られないと話していて、一方で同業の双璧、佐久間宣行さんと加地倫三さんは藤井さんのことをとっても褒めていて、この分岐点はどこだと。
できれば同業者を褒められる側になりたいんだけどどうすればいいのだろう。
身近で届きそうな人が評価を得て駆け上がっていくとき。
そこで喜んであげられる人と悔しくて見てられない人の分岐点が待っている。
そして仕事の中にはつまんなくて評価が得にくいけれど重要な仕事がたくさんある。
仕事で結果出せばいいんだよ!ってのは安易で、大学教授のポストのために家族を犠牲にして離婚して、今度は家族を守った人がまぶしくなってしまう人もいる。
仕事vsプライベートって構図はウソで、仕事もプライベートも一人の中で切り分けられるものではなく作用し合っている。ちらつく不安を管理するには仕事で結果を出すことが必要な人もいれば、配偶者が必要な人もいれば、離婚が必要な人もいる。
内省も必要だし外部環境の観察とうまい立ち回りも必要だし、ストレートで戦えないときは変化球を覚える勇気も必要だし、ピッチャーから野手に転向することがその人をプロに繋ぎとめることもある。
一つ気をつけるとしたら、神様にご指名された人がいることを覚えておくことだと思う。あちら側にいる人には憧れてもいいけど真似すると自分を痛めつけることになる。
ライバルの活躍は一生悔しがり続けてもいいと思う。先輩は昇進できなくて悔し涙を流していたし、教授になりたくてたまらない准教授に教わっていたし、とても自然でよくある光景の一つだから。
その代わり、直視する心の準備と自分の立ち位置の確認はしないと生存戦略として危なくない?会社によっては「今日オマエは何のバリューを出したんだ?」と毎日問われる。
仕事の戦闘能力オンリーで心が安定している人もいるし、私の場合は自己分析を見誤って、仕事の戦闘能力こそが幸福になる道だと思い込んできた。でも今は家族の健康と仕事とどちらも合格点取るのが幸福感が高く心が安定するし人の活躍も喜べることに気づいてきました。どちらも100点満点とれたらいいけどそんなスーパーマンいるの?
仕事オンリーマンとは共通点がなさそうに見えるけど、良い仲間と良い雰囲気を大事にしている点は共通している。
どうなりたいか、どうありたいか、そこと自分の立ち位置の確認と微修正をし続けるしか処方箋はないと思う。
またきてね